<コラム>本番に強いとは何か:高校時代の思い出~神の雨 | クラズユニック

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<コラム>本番に強いとは何か:高校時代の思い出~神の雨

【英語科 武田 秀久】

浪人生の担任業務の中でもっとも難しいのが、生徒に試験本番で実力を出させることです。とりわけ死ぬほど頑張って勉強してきた生徒ほど、皮肉な結果に陥ることが往々にしてあるように思います(認知バイアスなのかもしれませんが)。”どうやったら実力を発揮することができるか”は裏返せば、”どのような状況が実力を発揮できなくさせるか”を考えることが重要です。以下に私の経験談を述べます。

突然、神の雨が降った。それは高校1年の秋の硬式テニス新人戦、第二回戦の時だった。いつものごとく対外試合で実力が出せない。練習の時のショットが、サーブが、ボレーが、何もかもうまくいかない。スポーツ心理学の本を三冊も読んだ。技術もそこらの奴よりはよっぽどある。体力にも自信がある。筋トレもしてきたし、持久力も陸上部並にある。でも結果がでない。ゲームカウントは0-3。サービスゲームを二つ落とした。次は相手のサービスゲーム。これを落とすと0-4。ほとんど勝ち目がなくなる。「何が悪いんだろう?」「どうしてレシーブが入らないんだよ。」「たいしたサーブじゃないのに?」「なんでなんだよ。」意味のない自問自答が頭の中を駆け巡るが、体は意に反して動かない。

その時急に、土砂降りの雨が降り出した。そして、試合は翌日に順延となった。

0-3から試合が再開された。相手が信じられない凡ミスを繰り返す。ほとんど相手のダブルフォルトだけで、1ゲームをとった。前日には夢にも思わなかった展開。はたと気づいた。「自滅でしょ。」「手があんなに縮んでたら、サービスが入るはずないよね。」「ああ、あれが昨日の俺か。」「何てことはない、普通に打てばいいんだ。」相手の姿に昨日の自分を重ねることで、客観的に自分を見ることを知った。自分を上にも下にも見ない、あるがままの自分を見る。勝手にありもしない自分を作り上げ、幻想に振り回される、それが「あがり」の実体だった。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

それ以来二度と実力が自分以下と思われる対戦相手には負けなくなった。それ以来練習方法が変った。それ以来怖いものがなくなった。神の雨に感謝。

体験しなければそのニュアンスはわからないと思いますが、プレッシャー・あがり症・緊張・・・色々な表現はあるものの、それらの正体は全て自分自身の心の中(頭の中)にあるものであり、さらにそれは誰しもタイミング次第で生じるものだということです。自分をいかに客観視できるか、コントロールできるかということになりますが、それを習得するにはいろいろなきっかけも必要に思います。ただ、日常の勉強でできる訓練として、私は普段の予習や復習の際にも、必ずプレッシャーをかけた練習をするよう指導しています。とりわけ英語においては、タイマーを利用して、タイムプレッシャーをかけた予習は必須としているのはこのためです。神の雨が生徒にも降ってくれることを願いながら。


著者プロフィール

函館ラサール高校卒、中央大学法学部中退、北海道大学文学部卒。学生時代から30年以上に渡り受験指導を行い、多くの難関私大・国公立大合格者を導く。点数に結びつく指導法を日々開発・実践している。現在、医学部プラス主任、英語科。英検1級。

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